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【茶の湯】茶碗を”時計回り”に回すわけ

茶の湯の話です。いきなりですが、

抹茶を飲むときに茶碗を回してから口をつけます
それも時計回りにおよそ90度、なぜなのでしょう?


Q1.「抹茶を飲むとき、茶碗を回すのはなぜか?」

納得しやすいこたえとしては、
A1. 茶碗の正面を汚すのを避けるため。

客の立場で考えると、茶碗は一番景色の良いところ・見どころを正面とし、正面を向けて出されます。
そこにそのまま口をつけて汚してしまうのは、申し訳ないという気持ちや自分のために茶を点ててくれた亭主への感謝、謙虚さを表すために茶碗を回します。
…というのが、よく聞くこたえです。

では、
Q2. 「どうして”時計回り”に回すのか?」

”茶碗を回す”と言う行為に納得しつつも、
「正面を避けるためなら、回す方向はどちらでもよいのでは?」と、茶の湯を始めた当初はまだ少し腑に落ちずにいました。

”時計回り”の理由を自分で考えてみたけれど、納得のいく理由を出せませんでした。

それから数年して、「そういうことか!」と納得の記述があったのでご紹介したいと思います。

『飲み口は「流し口」』

 

”茶碗の正面に口をつけ、また、お茶で汚すということは、当然好ましくないことであります。正面を避けて飲むのが当然のことであります。
お茶の点前というのは、前にもたびたび申しますように、茶の湯の合理性と言うことがあります。飲み口というのも、この合理性によって決められるのであります。それは、一度お茶を点てた茶碗は湯でゆすぎ、その湯を流しますが、そのとき洗い水を飲み口のところから流して、飲み口を洗うように点前が仕組まれているのであります。
したがって、流儀によって点前、洗い方が異なっておれば、飲み口も流儀によって変わります。表千家流では、飲み口は茶碗を正面から見て、右側のまん中あたりとなります。茶碗を正面から見て、左側を左手で持って水を流すため、茶碗の右側が飲み口になります。”

 

「炉の点前 [表千家流] 」 監修 堀内宗心 世界文化社2001(p.21)より引用

なるほど!
亭主が茶碗をゆすいだ洗い湯を流す”流し口”と重なるように、客は”時計回り”に回して飲み口を定めるのか。

飲み口と洗い口が同じ位置とは、意識していなかった!
とても合理的で納得のこたえ!わかって嬉しい!!!

ただ、「流儀によって点前、洗い方が異なっておれば、飲み口も流儀によって変わります。」
とあるけれど、客が亭主に合わせて飲み口を決めるということなのか…
正面以外ならば客は好きなところに口をつけて飲み、亭主が客に合わせて、茶碗を流す時に持ち替えて流し口を飲み口に合わせたらいいのでは?その方が、亭主が客をもてなす気持ちが感じられるし…と、新たな疑問が生まれてしまいました。


Q2-2 「亭主の”流し口”に合わせて客が”飲み口”を決めるのはなぜか?」

…数年後、そのこたえがみつかりました。

上述した「飲み口は流し口」と同内容を説明後…

 

”ですから茶碗を回して正面を避ける瞬間は、客が亭主をもてなしている、ともいえます。そこがお茶のおもしろいところで、亭主と客が所作を通して心を伝え合う。お互いを思いやる気持ちが形として作法に現れているのです。正面を避けるという行為は本来強制されるものではありません。正面から飲んだからといって咎められることはないけれども、心を尽くしてお茶を点ててくれた亭主に対して、客なりにせめてもの感謝の気持ちを表す。自分がそのときにできる、客から亭主への精一杯のもてなしなのです。

 

「茶 利休と今をつなぐ」 千宗屋著 新潮社 2010 より引用(p.105〜)


Q1.「抹茶を飲むとき、茶碗を回すのはなぜか?」
Q2. 「どうして”時計回り”に回すのか?」
Q2-2 「亭主の”流し口”に合わせて客が”飲み口”を決めるのはなぜか?」

Answer.
”客から亭主への精一杯のもてなし”

この考えを知り、さらに茶の湯が好きになりました。
茶席では、亭主が客をもてなすものだと思い込んでいましたが、客が亭主をもてなせる機会にも溢れていることに気がつきました。

茶の湯を続けて面白いのは、この例にみる点前や所作に限らず、道具の形やデザインなど至るものが、ある目的のために合理的に洗練されていった結果として今の姿があり、その理由や過程を想像する楽しみがある点です。

茶を美味しく召し上がって戴くこと、亭主と客が心を通わせ和やかに心豊かに過ごすことが大きな目的で、そのための点前や所作、亭主と客相互のおもてなし、空間づくりなのかな?と私は考えています。

一見、その動きは無駄なのでは?と思っていても、だんだんとそうする理由がわかってきたり、動きの美しさを加えるために効率だけではない動きがあったり…

今のかたちはとても長い時間をかけて合理的に洗練されてきた結果なので、変わる余地が少なく、大きく変わることはそうないのかな?とも思います。
しかし、その変化の過程を想像すると、茶の湯はこれが完成形ではなく今も柔軟に、これからも変化しアップデートされていくんだろうなと思いました。

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